交換制度の破壊

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前回の続きです☆
読んでない方はこちらから

現実問題で窮地に立たされている
お金がない
もう何も自分で決めれない
何もしたくない
そういう時期がありますよね。

そういう時、どのような思考になってるかというと
【何やっても不幸です】
って不幸癖がついてる状態です。
周りから見たら、なんでもない出来事も本人は不足を感じています
愛されてない、愛なんてどこにもないと思い込んで
愛を見ようともしてません。

例えば、あなたが友達と外食しました。
3時間ほど楽しい時間をワインを飲みながら過ごしました。
お会計は1人1万円でした。

あなたは急に、現実に引き戻された感覚になりました。
1万円あったら、何が買えたんだろうか。
食事やワインは消えてしまった。
何も残ってないじゃないか!
1万円も払うなんて損したような気がする。
そんな気分で支払いをしました。

☆愛はどのように動いたでしょうか?

友達と楽しい時間を過ごした。
おいしい食事をした。
ワインを飲んだ。
<愛が増えた>

1万円を払った。
<愛が減った>
更に増えたと思った愛はもう目の前にない。
あれは愛ではなかった。

友達と無駄な時間を過ごした。
食事のせいで太った。
ワインで二日酔いだ。
お金も払った。

楽しい出来事があっという間に
最悪な出来事になってしまいました。
<受けた愛を帳消しして、更にお金も払った最悪な出来事。>

もう1つ例をあげてみましょう。

結婚適齢期を過ぎ、東京で仕事もないし
お金もない、付き合ってる人もいない現実で
自分は不幸だと思っている時の思考

結婚適齢期を過ぎてしまったのに
お金もないし結婚相手もいない。
思えば、あの頃、あの人と我慢して結婚すればよかったのかもしれない。
仕事も辛かったけど辞めなければよかったのかもしれない。
東京に出て来なければよかったのかもしれない。
実家にいればよかったのかもしれない。
<過去を振り返り愛を帳消しする>

あの人が私を引き止めてくれなかったから別れてしまったんだ。
仕事が辛かったとき、親がもっと相談にのってくれればよかったのに。
実家にいれば良かったけど、親が私にガミガミ言うからだ。
元はといえば、親のせいじゃないか。
<他人のせいにする>

ここで一筋の光が☆
親が実家に戻ってこいと連絡をくれた。

今更、実家に戻ってどうするんだ。
今更、母親面してどういう魂胆だ。
介護しろってことか?
田舎で出逢いなんてあつんだろうか。
東京にいた方がまだ良いのではないか。
<もう何があっても、愛ではないと疑い
恐れがどんどん出てくる>

交換制度の破壊

もう交換制度が破滅しています。
何もかもが悪く見えます。
何か得ても、得てなんかない
愛なんてないという思考です。
誰かが助言しても、その誰かを羨ましく思い
自分なんてだめだ、と助言が頭に入りません。
でも愛が欲しいから、どうにかしたいけど
愛なんてどこにもないんだと絶望しています。
3次元の中で考えるととても苦しいですね。

では、3次元的ではない考え方とは?

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